Kodomo Music & Art Festival [こども ミュージック アンド アート フェスティバル]
『Kodomo Music & Art Festival '11 開催に向けて』

この想いを文章に書き起こすにはなかなかの時間が必要だった。
個人的なことが多く含まれる文章なので表に出す事も迷ったが、
イベント開催の動機をみんなに知ってもらいたくて書き上げた。
人それぞれ育った環境によって物事の価値観は変わるので、全ての物事に対する考えは少しづつずれていく。
その「ずれ」が大きくなればなるほど、人と人との間で様々な摩擦が生じる。
その「摩擦」は決して避けて通ることのできないもので、その「摩擦」こそが人生だと僕は理解している。


僕は東京に生まれて3歳でアメリカ・サンフランシスコに移住した。
アメリカという国には数十の人種が入り混じって暮らしている。
アジア人であるというだけで差別があるし、ブルーハーツの歌のなかにもあるように、
皮膚や目の色だけで人が人を判断する。
それはアメリカに限ったことでもないかもしれないが、僕が経験したアメリカはとにかくそうだった。
そしてアメリカは実力社会。年功序列は関係なく、その考えは小学生の頃から根付いていた。
いじめられても何をされても自分で解決しないと何も変わらない。
その手段として暴力もあったし、精神的な痛みもあった。
そんななかで、人種など関係なくみんながフラットな状態でいられる時間があった。
それは当時流行していたNaughty by Nature、MC Hammerなどヒップホップの曲をラップしている時間だった。
音が鳴っているラジカセの周りにみんな自然と集まって歌い始め、誰が一番うまいのかを競い合う時間があった。
その時だけはどんな人種も堂々と参加していたし、みんなが笑顔だった。
僕はそんなアメリカが大好きだった。


八年後に日本に戻った僕は公立の中学に入ったが、あまり馴染めずにいた。
海外からの転校生であることと、アトピー性皮膚炎であることが重なり、
他の生徒とうまくコミュニケーションを取れずにいた。
そんな時もすぐ近くに音楽があった。ヒップホップはもちろんのこと、
ボン・ジョヴィやニルヴァーナなどのロックが僕を支えてくれていた。
その後、高校から大学へと進み社会人になったある日、祖父が認知症であることが分かった。
その認知症の進行を少しでも食い止めたいと思い、僕は音楽療法の専門学校に入った。
学ぶなかで、音楽やアートが人にどれほどの影響を与えるのかということを、
もっと多くの人に知ってほしいと思った僕は、Kodomo Music & Art Festivalの開催を決めた。
数人の仲間達と開催の準備を進め、2008年の11月に第一回目を開催した。
そして偶然にも、開催当日の朝に祖父が亡くなった。


なぜ、ターゲットを子どもに絞ったのか?
それは、子どもの頃から「音楽やアートのなかでは、全てがフラットに融合する」ということを
体験を通して感じてもらいたかったからだ。
だからといって「国境なんてないんだ!障がいも病気も関係ない!」という
ユートピア的な考え方を植え付けたいわけではない。
むしろ、その逆。国境があって国籍の違いもある。障がいがあって、病気の子もいる。
そういったことから目をそむけずに、もっと知ってもらいたいと思うのだ。
そういったことをしっかりと理解した大人に育ってほしいという願いを込めているのだ。


あれから3年、Kodomo Music & Art Festivalの規模も変わり、大きな遊園地を借りての開催が可能となった。
国籍も年齢も性別も障がいの有無も病気も何もかも、全てが混ざり合うことができる野外フェスティバルを開催するため、
半年間に渡ってあらゆる子ども達がライブペイントの練習や会場デコレーションの制作に打ち込んでいる。
普段は小学校、インターナショナルスクール、特別支援学校、
小児病棟、養護施設、重度障がい児施設などにいる子ども達が、
一つのイベントに向けて歩むその姿は最高にかっこいい。
今年は東日本で大震災も起きたが、被災地・気仙沼にいる子ども達も会場デコレーションに参加してくれている。


みんなの想いを一つに、プロのミュージシャンやアーティストの協力も得て、
Kodomo Music & Art Festival '11 いよいよ開催!!!!




2011.09.24
NPO法人Ubdobe
代表理事
岡勇樹